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中野寛也 なかの ひろなり Nakano Hironari | 1969年6月3日生れ 広島県出身 | ||||||||||||||||||||||||||||
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中部総本部所属。島村俊廣門下。1985年入段。1997年九段。 入段から九段到達まで12年1ヶ月は大手合では日本棋院最短記録(その後、羽根直樹九段に破られる)。 | ||||||||||||||||||||||||||||||
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棋風:力戦派。戦いが大好き、全面戦争が好きなタイプ。 揮毫: | ||||||||||||||||||||||||||||||
タイトル獲得数:3個(うち世界タイトル:0個)
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2001年1月1日以降国際棋戦成績=1勝1敗(対韓国:0勝1敗、対中国:1勝0敗、対他:0勝0敗)
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| 日本棋院の情報 | ||||||||||||||||||||||||||||||
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【2000年2月16日 産経新聞「人」(保坂勝吾)】 十段戦の挑戦者に決まった中野寛也さん 「番碁(五番勝負か七番勝負の総称)を打ちたいと思っていたのでうれしい」。熱戦直後の顔は紅潮し、声も絞りだすようだった。2月10日、十段戦挑戦者決定戦で山下敬吾六段を破り、小林光一十段への挑戦権を獲得した。 色白の童顔。数年前、テレビの棋戦で女流棋士に苦戦して、困ったような表情をしていたのが印象的だったが、今期の十段戦では、趙治勲棋聖・名人と両者秒読みになって、すさまじいねじり合いをものにした。 中部の"兄貴分"彦坂直人前十段から「顔に似合わず(相手をねじ伏せるような)力碁なんです。たくましくなった」とおほめの言葉。「バランスの取れたオールラウンドの碁を目指しているが…。そう言われるとうれしい」。少年のような笑顔がほころぶ。いよいよ夢だった晴れの五番勝負の舞台に立つ。 広島県の実家は酒屋さん。囲碁好きの父親は夜になると、自宅に囲碁仲間を呼んで対局を楽しんでいたという。小学校三年のときに碁会所に通い始め、すぐに天才性が認められて“後援会”ができ、四年生のときには名古屋の名門・島村俊廣九段(故人)に入門、内弟子となった。「とても優しい師匠でした。院生(プロを目指す養成機関の生徒)が二十人もいて競争が激しかったので、親元を離れても寂しがっている暇はありませんでした」 プロになって十五年。碁一筋の努力がようやく花開こうとしている。「彦坂さんから、引退された坂田(二十三世本因坊栄寿)先生の棋譜を並べてみたらとアドバイスされた。勝敗にはこだわらず、納得のいく碁を打ちたいですね」。自分流の勝負哲学を持ち、3月9日から始まる五番勝負にのぞむ。 広島県出身。平成7年、第10期NEC杯俊英戦優勝。同年、第51期本因坊リーグ入り。妻と子供2人。趣味はゴルフと読書。おすすめは英国の作家、R・ゴダード。30歳 【1997年5月15日 日刊囲碁】 日本棋院中部総本部所属の中野寛也八段(27)が大手合で規定の昇段点に達し、九段に昇段した。到達までの対局数は111局で新記録。過去最短記録は推薦による特例を除いて、趙治勲棋聖の116局。これで日本棋院で66人目、関西棋院(34人)と合わせて100人目の九段になった。日本のプロ棋士約400人のうち四分の一が九段になり、ますます逆ピラミッド型の構成になった。 | ||||||||||||||||||||||||||||||