山城宏
やましろ ひろし
Yamashiro Hiroshi

1958年8月12日生れ

山口県出身
中部総本部所属。島村俊廣門下。1965年入門。1971年院生。1972年入段。1985年九段。
棋風:手厚く打って後半に追い込むタイプ。
揮毫:
タイトル獲得数:14個(うち世界タイトル:0個)
2005年(46期)王冠戦優勝(47歳)
2001年(42期)王冠戦優勝(43歳)
2000年(41期)王冠戦優勝(42歳)
1996年(37期)王冠戦優勝(38歳)
1995年(36期)王冠戦優勝(37歳)
1994年(35期)王冠戦優勝(36歳)
1993年(34期)王冠戦優勝(35歳)
1993年(第48期)本因坊挑戦者(34歳)
1992年(第18期)天元挑戦者(34歳)
1992年(第16期)棋聖挑戦者(33歳)
1987年(28期)王冠戦優勝(29歳)
1987年(第42期)本因坊挑戦者(29歳)
1986年(27期)王冠戦優勝(28歳)
1986年(第41期)本因坊挑戦者(28歳)
1985年(26期)王冠戦優勝(27歳)
1984年(第32期)王座挑戦者(26歳)
1984年(25期)王冠戦優勝(26歳)
1982年(23期)王冠戦優勝(24歳)
1981年(22期)王冠戦優勝(23歳)
1977年(18期)王冠戦優勝(19歳)
2001年1月1日以降国際棋戦成績=1勝2敗(対韓国:0勝2敗、対中国:1勝0敗、対他:0勝0敗)
対局日棋戦名勝敗対戦相手
2006.04.08富士通杯第1回戦朴永訓九段(韓国)
2005.04.11富士通杯第2回戦宋泰坤七段(韓国)
2005.04.09富士通杯第1回戦常昊九段(中国)
日本棋院の情報 写真(46歳)
【2006年2月13日 朝日新聞「棋士快声」(浅井義貴)】
中部に山城ありと言われて久しい。なのにビックタイトルに縁がないのは、碁界の七不思議の一つだ。棋聖戦で1度、本因坊戦で3度、七番勝負の挑戦手合を争った。他に天元戦や王座戦でも挑戦者になった。日中スーパー囲碁では一気に5人抜き、でもあと一歩届かない。なかでも棋聖戦での最終局半目負けは、今でも語り草だ。
いや実は立派なタイトルを持っている。日本棋院中部総本部所属の棋士40人余が参加する王冠戦で、昨秋、羽根直樹九段(棋聖)からタイトルを奪取した。王冠は14期目。「19歳の時、初めて取った愛着のあるタイトル。自然と気合いが入ります」。地元、中日新聞の主催。対局の翌日の新聞にでかでかと掲載される。「おめでとう」とご近所の人たちから声がかかる。
名古屋市昭和区の自宅近くに一軒家を借り、囲碁教室を始めて4年。幼稚園から中学生まで約25人が、週3回集まり、子供同士の対局で腕を磨く。「プロを育てようというつもりはありません。子供の頃に知っておけば、途中で止めても大人になって楽しめますから」
楽しさ、奥の深さを一人でも多く知って欲しい。トップ棋士でありながら、丹念に指導するのは、囲碁離れに対する危機感からだ。再び、タイトル戦の話。最近は若手棋士の台頭が顕著で、立会人として対局場に行くことが多くなった。「我々の世代も頑張らないとね」、そうですよ。レベルの高い中部総本部の「トップ」なのだから。

【2005年6月11日 読売新聞「囲碁欄」(千喜良忠)】
2004年10連勝、2005年9連勝とこのところ好成績の山城宏九段。秘訣を伺うと、「別にねぇ」と山城。ここは本人に代わって愛知万博会場でお会いした中部総本部の山城の先輩・馬場滋九段のお言葉を借りよう。「彼は数年前から子供教室を一人でやっとるんです。偉いもんですわ。遊ぶ時間もなくなって、それがいい結果につながってるんと違いますか」。
実は山城に会ったのは「山城宏囲碁教室」。週3回、30人くらいの小中学生を教えているそうだ。「碁に向いている子、向いていない子、いろいろですが、無理強いはせず好きなようにやらせています」。子供たちの話になると、山城の話は熱を帯びてきた。

【2003年8月25日 読売新聞(夕刊)】
山城九段は2001年から名古屋市内の自宅で「子ども囲碁教室」を開いている。開設当初は週1回だった講義は、人数が増えて教室に入らなくなり、今では月、火、土曜の週3回になっている。「子どもが来る限り続けます」(山城九段)。