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石田芳夫 いしだ よしお Ishida Yoshio | 1948年8月15日生 AB型 愛知県出身 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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木谷実九段門下。1957年9歳で入門。木谷三羽烏の一人。1963年入段。1964年二段。1965年三段。1966年四段。1967年五段。1969年六段。1970年七段。1971年22歳で史上最年少の本因坊になる。1973年八段。1974年九段に推挙される。木谷三羽烏(石田芳夫、加藤正夫、武宮正樹)の一人。門下に高橋秀夫。 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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棋風:形勢判断に明るく、足早に展開して碁をリードするのが特長。どちらかと言うと戦いは好まない。ヨセの計算が速い。「コンピューター」との異名がある。 揮毫:無門(むもん) 石田芳夫著作集 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
タイトル獲得数:24個(うち世界タイトル:1個)
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2001年1月1日以降国際棋戦成績=0勝1敗(対韓国:0勝0敗、対中国:0勝1敗、対他:0勝0敗)
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日本棋院の情報 秀芳囲碁さろん 写真 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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【2006年8月12日 朝日新聞「棋士快声」(荒谷一成)】 1971年に22歳で本因坊になり5連覇。1974年には史上3人目の名人本因坊と昭和囲碁史を彩った「コンピュータ」だ。規定により2年後の還暦から24世本因坊秀芳(しゅうほう)を名乗る。14歳で入段し棋士44年目。「昭和60年(1985年)の天元戦を最後に挑戦手合に出ていないので、元気が良かったのは前半の半分だけだね」 若くして本因坊になった頃は、東京・四谷の木谷道場に寝泊りしており、「部屋住込みの本因坊」と話題になったが、いまや髪には白いものが交じる。東京の棋士会長としては、囲碁愛好者の長期にわたる減少と、極端な高齢化が気になるようだ。「アマチュアあっての囲碁界ですからね。全然、楽観できない。サラリーマンには碁が安上がりで定年後に死ぬまで楽しめる利点を、教育関係者には子供の脳の活性化と礼儀の習得に役立つことを知ってほしい」 普及では悲観派に見える一方、国際戦での日本勢不振には楽観派である。「日本の碁は布石からヨセまでゆっくりしているのに対し、韓国の碁はことに仕掛けが速く、日本勢はタイミングが合わないきらいがあった。でも慣れていけば、日本の若手の実力はそんなに劣っているはずはないと思っていますがね」 棋聖、名人、本因坊の三大タイトルで22歳は今なお最年少獲得記録。「ちょっと難しそうだ」といってこんな目標を明かした。「いつか、秀行先生(藤沢秀行名誉棋聖)の持つ三大タイトル最年長獲得記録(56歳で棋聖6連覇)を更新できれば愉快です」 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||